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1981'Photography, Be yourself.'

無垢であることについて

9th Apr,2024

無垢であることについて

9th Apr,2024

僕は今現在、”飾らないこと”について考えて行動しようと試みている。
それはつまり”無垢”であり”純度の高い言動”であると仮定して。

写真を続けていると大小関わらず人から褒めてもらえ嬉しくなる。人から誘われて展示をするようになると、いつの間にか自分は大きなことを成し遂げることができると勘違いしてしまう。

例えば写真家なんて言葉はただの偶像だと思う。SNSを遠目から眺めていると自分で勝手に語ることができる肩書きだと感じる(自戒を込めて)。知らない方から”写真家”だと認知されるようになって初めて「そうなんだなぁ」と自分で認めていく言葉にすぎないと今は感じてる。

僕は、華やかでない、過度に演出されていない、そんな写真や映像が好きで最近よく触れています。その表現・姿こそ無垢な写真であり映像なんだと捉えています。

ただ地味で質素が良いと言う意味ではない。自身の表現が偶然に華やかでインパクトがあるケース。それもある種の無垢だと思っています。つまり外的要因に捉われることなく自分と被写体だけの世界に身を投じ生きること。その情熱が純度であり美であると感じるのであります。

自身に置き換えてみると、己の感じるままに海に通い写真を撮っていた。そのアクションと写真が評価され、展示に参加したり、作品を購入してもらったりとありがたい機会に恵まれた。個人的には浮かれ半分、生真面目半分。そこから一生懸命に使命感を掲げ活動するべしという責任感が生まれ、展示から作品集、物販まで、常に新しいチャレンジを心がけ遂行しました。

ただ色々な欲というか、反応や評価といった自分以外の場所に成果を求めるようになってしまい、個人的には純度がどんどん薄まってしまったと感じています。

できるだけ力強く、美しく、見たことのない絵を。
いつの間にか写真に大義を感じ何かを犠牲にしながら努めていたけど、実はもっとシンプルで自分にできること=最初にやってたこと。それをやり続けることが自分には必要で相性が良いんだと思う。

今まさにyoutubeで見ている動画も淡々と作業をして何かを作る動画。音楽もなく地味だ。逆にそれが妙に美しく感じる自分がいる。きっとそういう時期なんだろう。

独断と集積